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2010-01-19 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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2009-11-10両国国技館での演奏 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

purpletarapress20091110

両国国技館での私の演奏を無事に成し遂げることができました。遅くなりましたが、ご報告させていただきます。ダライ・ラマ法王事務所、そのボランティアや会場関係者の方々、そして5千人を越える聴衆の皆さんに感謝致します。ありがとうございました。

会場で私とパッサン・ドルマ長野ライブCDについてPRするようにと紀伊国屋ブースの責任者に頼まれたのですが、私はすっかり忘れてしまいました(笑)。しかし、同じCDが自由が丘の「マニマニ」さんで売られています。どうぞよろしく。

チベットの店 マニマニ

http://manimani.jp/

タシ・クンガ

*                   *                  *


ダライ・ラマ法王来日法話

「さとりへ導く三つの心と発菩提心 ラムツォナムスムとセームキュ」

会場: 両国国技館

日時: 2009年10月31日

チベット音楽奏者: タシ・クンガ

演奏曲目:

(1) Thoe Peh Lu-Yang / トゥペールーヤン ダライ・ラマ法王讃歌 (3分30秒)

(2) Zepe Lhamo Butti / 麗しきラモ・ブティ (7分)

(3) 生きる喜び / 自作 (2分)

演奏の合間に私の説明が入り、全体で20分以内におさめました。


His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching

<Three Principle Paths and Generating the Altruistic Mind

Enlightenment

2:00 ~ 4:00 pm, Oct. 31, 2009 (Saturday)

at Ryogoku Kokugikan Hall, Tokyo


Tashi Kunga's Performance

1:30 ~ 1:50 pm

Play list as follow;

(1) Thoe Peh Lu-Yang / Poem written by Trijang Rinpoche

(2) Zepe Lhamo Butti / Acho Namgel

(3) Joy to Live / Composed by Tashi Kunga


*           *           *

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写真撮影: 野田雅也   Photo by Masaya Noda

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2009-09-14《パッサン・ドルマのチベット音楽史上の位置》 空閑俊憲 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

前回二度にわたり『ナムゲ伝説』を綴りましたが、最後に次のようなエピソードを付け加えておきましょう。

ナムゲはラサにあるツクラーカン(チョカン寺)に沿った道をよく歩いていました。ツクラーカン参拝に来ていた誰かが、ナムゲに気づき、建物の窓から彼に声をかけ、演奏のリクエストをしていたそうです。たまにナムゲが機嫌がよく、それに応えて演奏をする。人はお礼に金を包んで窓から投げて贈る。

「アチョ・ナムゲさん、後生ですから、あの『チョラ・タシ』を『アジョデ』を一曲聴かせてくださいな」

そんな光景が浮かんでくるようです。ナムゲはダミネン(三味線)、ピンワ(胡弓)、ギュマン(チベット語でギュは「弦」、マンは「多い」の意。多弦打楽器)の並ぶ者がいない名手と伝えられています。しかし、あの何十本もあるギュマンの弦を箸よりも長い竹の棒を両手に持ち、いったい盲目の人がどのようして打ち鳴らすことができたのか、まことに想像を超える話です。

ある日、サンポ・リンポウチェの叔父さんはある悪戯をナムゲにしました。やはりツクラーカン近くでのことでしたが、杖をついて家路に向かっていたナムゲを見て、その叔父さんは、親切そうにこう言いました。

「アチョ・ナムゲさん、私があなたの手を取ってお助けしましょう」

ところが、その叔父さんはわざと違った方向へナムゲを誘おうとしたので、

「なぜ、あなたはまちがった方へ連れて行こうとするのですか! 私は盲でも自分の道はよくわかっている!」

と、ナムゲは怒ってしまったそうです。

アチョ・ナムゲには何人もの弟子がいました。ダラムサーラにあるチベット舞台芸術団(通称TIPA)で古典音楽の指導に当たったことのあるルーツァもその弟子のひとりでしたが、ナムゲ現役当時は彼はそれほど重要なミュージシャンと評価されてはいませんでした。優秀な継承者といえば、タルゲ、アメンリ、ドルジェたちがいました。そのうちタルゲは現存する最後の継承者でしたが、惜しくも昨年ラサで亡くなっています。アチョ・ナムゲを直接知る人はもうこの世にはいません。サンポ・リンポウチェは生前のタルゲへ、アチョ・ナムゲ伝承者としての、またチベット古典音楽の正しい継承者としての彼の立場の自覚を説いたそうです。というのは、タルゲさえも本来のナムゲ音楽から道を外すことがあり、師は警告を発せねばならなかったからです。アメンリは中国人とチベット人の両親を持ち、ダミネンだけを、しかもナンマのみを演奏していたそうです。そしてドルジェ、この人はナムゲのように盲目でしたが、実に愉快な演奏家であったらしい。聴衆の前でおかしな芸を披露しました。ダミネンでトーシェを演奏しながら、同時にそれとはまるっきり異なる旋律のチベット・オペラを歌ってみせたというのです。(笑)

シミ・ランバ、ポロ・ランバと呼ばれていた歌手・踊り手たち、アチョ・ナムゲとその弟子たち、チベット古典音楽、ナンマ・トーシェはこの人たちによって黄金時代を迎えたのです。

やがてナムゲが人知れずこの世を去ったころ、ひとりの若くて美しい踊り子が現れました。チュシ・イシ・ドルマです(写真左:ダミネンを抱え座す)。彼女の『ソナム・パンゲ』(ナムゲ作曲)はとくに人気があり、私は話に聞く彼女のような踊り方をする人を今日では見たことはありませんが、踊りの途中でシャモ(帽子)を脱いだり冠ったりするその華麗な仕草に、ラサの観衆は口を揃えて誉めそやしたそうです。題名は「祝福された平原」という意味ですが、歌詞の内容は、「花の咲きほこった平原を歩いていると、どこからともなく僧侶の奏でるギャリンの音色が聴こえてくる」と唄っています。

写真のなかで、チュシ・イシ・ドルマの隣に立っている女性は、歌手のアナンです。この人は脚に障害があり、ちいさな女の子のように無邪気な声で唄うのが特徴です。アナンの唄声もチュシ・イシ・ドルマのダミネン演奏(おそらく晩年の時期)もその録音はかなり鮮明に今日に伝わっています。チュシ・イシ・ドルマの速曲『タグツ・カルポ』(ナムゲ作曲)のダミネン演奏は乱れもなく実に見事です。

この二人の女性ミュージシャンがアチョ・ナムゲとパッサン・ドルマとを結ぶ、ちょうど中間地点に位置し、橋のような役割を果たしている、と私は考えます。シミ・ランバ→アナン→パッサン・ドルマ、この三人の歌手に共通しているのは、子供のように唄っているところでしょう。他の今日のチベット人女性歌手にはあまり例がありません。なかでもパッサン・ドルマは私が傍で共演する機会を得たこともあり、よくわかるのですが、舞台に立つと一変してあるオーラに包まれます。「サラスワティもタラ女神も私の姉か友だちのような存在なの」と断言する彼女の言葉が、まんざら嘘でもないように聞こえてきます。(笑)

彼女の声質のきわだった特異性を科学的に証明することができたのは、昨年の京都での録音の際でした。経験豊富で優れたオーディオ・エンジニアの久保さんが私を呼び、見せたいものがある、と言ったのです。録音結果を示すコンピューターのグラフでした。

「俺は長いことこの仕事に携わって来たけど、しかもたくさんのソプラノ歌手の録音にもたちあったけど、こんなグラフは今まで見たことがない。驚きだ。見てよ、この高音の伸びきるところ、一直線で揺れひとつない。たいていの歌手はこの最後の部分で声が保てなくなり、あるいはなんらかの理由でかすかに揺れ始める、それがグラフに表れるのが当たりまえなんだ。しかし、このパッサンは……」

私もそのグラフに見入りましたが、確かに上へ向かってどこまでも一本の線が小刻みもなく伸びていました。

グラミーを授賞した歌手、ヤンチェンラモは以前パッサン・ドルマに古典曲の唄を教えてほしいと頼んだことがありました。しかし、パッサン・ドルマはそれを断りました。今では笑い話になっていますが、あの金持ちのヤンチェンラモは授業料としてパッサン・ドルマに歌詞一語一語につき僅か1ルピーを支払うと約束したそうです。

貧しくても、身体に障害はあっても、パッサン・ドルマは自分の手で二人の男の子を育てあげ、焼身自殺を計ろうとしたことさえありましたが、苦境の半生を乗り越えてきました。2003年、インドのダラムサーラで催された最初のチベット音楽賞コンクールで最優秀女性歌手賞を受賞、これは通常の何人かによる審査員制度ではなく、一般のチベット人による多数投票で決定したのです。一般庶民からの圧倒的な支持を受け、彼女はこのときチベット音楽史上に歌手としての最初の刻印を押すことができました。

2006年、長野での『羽衣』演奏会最後の舞台で、パッサン・ドルマはアンコールに応えてひとつの歌を披露しました。その無伴奏の歌は、天女の歌声のように会場に響き、聴衆も私も、その美しい旋律に息をのんで聴き入りました。後でわかったのですが、それは彼女がその場で初めて作った即興歌だったのです。孤児であるパッサン・ドルマは、未だ見ぬ『アマラ』(チベット語で「母」の意)を祈っていたのです。

彼女がまだ子供だった頃、ダラムサーラにあるTCV(チベット子供村)でのこと。ひとつの小さな部屋に共同生活する何十人もの親のいない子供たちのなかに、古いラジオに毎日聴き入っている歌の大好きな女の子がいました。子供たちが『アマラ』と呼んでいた看護人がある晩消灯の見回りにさしかかったとき、暗い部屋のなかから美しい歌が聴こえてきました。

「もうラジオを消しなさい!」

とアマラが注意すると、歌は止みました。そうです、それはパッサン・ドルマが唄っていたのでした。

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(写真下:9歳のパッサン・ドルマ)

(2008年8月記)

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2009-09-13ミニコンサート 『チベットの歌』のお知らせ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

☆ライブのお知らせです。

2009年9月29日(火)午後7時~ 新宿、常圓寺にてミニコンサートがあります。

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ミニコンサート 『チベットの歌』

テンジン・チョギャル×タシ・クンガ/空閑俊憲

詳細↓

http://www.tibethouse.jp/event/2009/090929_concert.html

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2009-09-12<ナムゲとその女性歌手たち> 空閑俊憲 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

purpletarapress20090912

<ナムゲとその女性歌手たち> 

アチョ・ナムゲには二人の女性歌手が連れ添っていました。シミ(猫)とポロ(鴉)。どちらもあだ名ですが、写真と照らし合わせると、なるほど上手く名づけたものだと笑ってしまいます。(写真右端がシミ、左端がポロ)シミは猫のような顔をしていますし、ポロもそうです。私が初めてこの写真資料をニューヨークのウエストヴィレッジにあるラチェ図書館チベットに関する専門資料館)から入手したとき、私は喜びと同時に驚いてしまいました。実はシミが私の姉、通子の若い頃に瓜二つなのです(笑)。シミの実名はソナム・ヤンゾン、ポロはプルボ・ドルマでしたが、ラサの女性たちの激しい嫉妬から陰では本名を呼ばれることはありませんでした。当時の女性歌手や踊り子たちは(この点では私の姉とはまるっきり正反対であると断っておきますが)、身持ちが悪かったのでしょう、別の呼び名が、シミ・ランバとかポロ・ランバ、つまり『売女』の意の言葉がついていたくらいですから。

ソートレイク市のサンポ・リンポウチェの家に、とても古くて珍しいカセット・テープがあり、一度聞かせていただいたことがあります。そのなかにトーシェ『ダワ・シュヌ』(月の曲、ケルサン・ラワン作)を唄い、踊っているある女性歌手がいました。録音状態は悪く、風野原から聞こえてくるような雑音混じりの唄声でした。これがどうやらシミらしいというのです。現代の最高峰に位置するナンマ・トーシェの女性歌手たち、たとえば、パッサン・ドルマ、チミ・ユドン、ケルサン・チュキ、チュリン・チョドンたちと比較すると、もっとぶっきらぼうな唄い方で、踊りの部分、トクシェ(速曲)ではなにか日本の下駄でも履いているような激しいタップの音が聞こえて来ました。写真の中の三人が立っている足下の板は、ひょっとするとタップ用に使われていたのかもしれません。写真中央のやや年上に見える女性は、アチャ・イッツァ。ネパールの踊りを得意としていたそうですが、それ以上詳しくはあまり知られていません。しかし、アチョ・ナムゲ、シミ、ポロ、この3人はナムゲのナンマ・トーシェ演奏には欠かせない当時大人気の顔ぶれだったのです。

*     *     *

(注釈)トーシェ『ダワ・シュヌ』の作者、ケルサン・ラワンは『チベットの娘』の著者、タリン夫人の兄弟で、怠惰なリンポウチェであったそうです。結局は無実だと後で判ったのですが、ある嫌疑をかけられ死刑に処せられました。この月の曲は初めは作者によって『ケルサン・ラワン』と名付けられていました。つまり、作者自身の名前が曲名になっていたのですが、後になって『ダワ・シュヌ』(新しい月、つまり、今東の空にのぼったばかりの月の意)と改名されました。

今年の春、ソートレイク市で私は初めてタリン夫人のお嬢さんにお目にかかりました。私の演奏に感動してくださった方のひとりでしたが、70代半ばの非常に美しい人でした。

*     *     *

補遺)1920~1930年代に現役として脚光を浴びていたアチョ・ナムゲ、サンポ・リンポウチェが6歳のとき、両親に連れられてその演奏会へ行かれたのが1929年。ちなみに、その頃の世界情勢はというと;

1929年 世界経済恐慌始まる

1930年 インド独立運動の気運

1931年 満州事変

1932年 満州国成立

1933年 ドイツナチス政権成立

      日本、国際連盟脱退

しかしチベットは、このような動勢をよそに、インド北方アルプスの花の谷に咲くあの『幻の青い芥子』のように、世界とは隔絶された天空の孤高を守り続けていたのです。

*     *     *  

つづく   (2007年11月15日記)

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